こんにちは!ネットビジネスカフェのぎーさんです(^^*)
- 失敗するのが怖くて踏み込めない
- 同じ失敗を繰り返したらどうしよう
新しいことに挑戦するとき、
それが、自分の資金を削るもの、
自分のキャリアに関わるものなど
“挑戦したら何かを失うかもしれない”となると、
失敗するのが怖くなって、挫折したくないので最初から何もしない人は多いですよね。
でも、よくよく考えてみれば、生きてて「失敗した」と感じたことがない人っていないと思います。
失敗した人を責めすぎる風潮を、無視する勇気
日本人は、世界でも不安を感じやすい民族として遺伝的に証明されています。
不安を感じると、不安を払拭するために、保険に入ったり、特に目的の定まってはいない貯蓄をしたり。
何かに備えるのは大切なんですけど、いつの間にか「備えることが目的」になって、備え続ける人生を送りはじめる人もいます。
私は、日本は失敗した人を責めすぎる風潮が強いと感じます。
挑戦しない人ほど、他人の失敗をあげつらいすぎることがよくありますが、そういう雰囲気の中で育つと、子どもは余計に
「失敗したら終わりなんだ」
っていう考えがよく育ち、人生的に無難なところを攻め続けるようになっていっても、おかしくはないような気はします。
でも、もし失敗したら終わりなんだとしたら、私はこのまだ短い人生経験の中ですら、すでに失敗続きで、終わりまくっていますw
22歳の時に無謀な退職をしてから転職活動はしばらくこけまくりの失敗続きでしたし、そのあと就職しても未経験のことに啖呵切ってチャレンジするたびに、周りの先輩方にも、大いに迷惑をかけてしまいました。
25万円の自腹を切ってビジネスに参加して1円にもならなかった挫折もありましたし、しなくてもいい失敗をして人を傷つけメンタルが元に戻せないまま3ヶ月以上、自分が整理できずに屍みたいに時間を浪費してしまった時もあります。
でも、私はその1円にもならなかったビジネス経験のおかげで、身をもってビジネスを甘く見ていたことを知り、お金の仕組みを学ぶきっかけになりました。しなくてもいい失敗経験をして、ずっと海の底みたいな気分を味わったから、自分の解消しないといけない欠点に、静かに向き合う必要に迫られました。職場での失敗経験の一つ一つは、今の仕事に活きています。
このように、「自分にとっては失敗だった」と思う経験をすると「終わり」なんじゃなくて、そこから私たちにはやっと経験からなにかを学ぶ機会が訪れます。それを、異様に失敗を非難する風潮が気になって躊躇しているとしたら、それは自分と向き合うことから逃げる言い訳に、まわりを利用してるだけだと思う。
失敗した人を責めすぎるほど、自分の失敗も責めすぎる
日常の些細な失敗まで他人を責めすぎる人は、自分が似たような失敗をした時に、自分のことを同じレベルで責めることになります。
生死に関わるような決断は重くなりますが、今ってそこまでの決断を迫られることってほぼありませんよね。なのに日常の小さな、些細な失敗まで許せなくなったら、確かに何にも挑戦できなくなるかもしれませんね。
でも、それって生きててすごく息苦しくなっていく。
他人に寛容な人ほど、案外とんでもない失敗経験をしている
私の人生の中で、最も他人の失敗に寛容で、活動的で、何が起きてもタフだった女は、今は亡き祖母でした。
祖母は、日本の戦争〜戦後を生きてきた人でした。
祖母についてはぜひ別記事で伝えたいと思うくらい書けることの多い人ですが、いま簡単に言うと、何が起きてもいつも笑い飛ばしているのに、その雰囲気からは想像がつかないような、普通の女性だったら、生涯引きづりそうな過去もあります。
わたしは、こういうタフさというか、寛容さを持ちたいなと今でも思います。また、そういう雰囲気がもっと日本にあったら良いなと思います。
人に寛容でいられる人は、人よりも見えないところでたくさん失敗をしています。
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